地方には、公の仕事(公的支出)の7割があるのに、自己資金は3割しかありません。どうしてそのようなことになったのでしょうか?この記事では、経緯をたどり、原因を探ります。
- 【筆者/やまべみつぐ】について
- 【やまべみつぐ(山辺美嗣)】
通産官僚、国連(ジュネーブ)、独法(ニューヨーク)での勤務を経て、県議に。日本初の地産地消政策や、地方議員としてロシアとの直接交渉などを実現しました。その後、県議会議長に就任。保守三つ巴の熾烈な選挙戦を経験し、他の候補者の選対としても活動しました。現在、政治行政のコンサルタント。議員引退を機に、故郷の雪国から子や孫のいる関東に転居。孫5人。
2000年以降、地方の仕事は増えたのに、自己資金は増えなかった
国と地方は、それぞれ金額の比率ではどれほどの公の仕事を受け持っているのでしょうか?
2000年より以前は、公的な支出のうちわけは国:地方=40:60と、地方が6割をしめていました。ところが収入は、国の収入:地方の収入=80:20と、地方は60の仕事をしているのに20しか収入がないので、国から40の資金を再配分してもらっていました。自己資金比率は60分の20(3分の1)しかないので、これを3割自治とよんできたのです。
これではいけないということで、2000年以降に「三位一体改革」や「地方分権推進」が行われましたが、結果は逆効果に。地方の仕事は70にふえたのに税収は20のまま。自己資金比率は3割を下回って、国への依存は逆に増えてしまいました。
最近は大きな経済対策を毎年のように行っていますが、地方で実施される対策事業の財源も国債、つまり100%国のお金ですからますます国への依存はふえています。
国と地方は、どんな仕事をしているのか
では、公の仕事の現場はどのようなものか、見ていきましょう。
地方の現場はどこ?:地方の現場70の内訳は、医療保険費、高齢福祉費、障害福祉費、社会福祉費、教育費、一般公共事業費、中小企業振興費、農林水産業振興費など、支援する相手方の顔がわかる地方管轄の分野です。しかし、この事業費のうち自前の財源は20だけ。50は国から配分されるものであり、地方は使い方の工夫もできません。地方は国の下請になっているといってもよいでしょう。
国と地方:実際の金額をみてみよう
国と地方の収入と支出を令和3年度の実際の金額でみていきましょう。
これを、収入面から見ると
支出のほうからも分析していきましょう。国と地方の一般会計合計160兆円は、どこの現場に支出されているかを見ます。
地方の現場の収支を更に詳しく見ていきましょう。
地方税収入等の独自財源は110分の40【3割自治】、国に依存する財源は110分の70【7割依存】、その構造がハッキリと見えてきます。
しくみが変わらない理由
このしくみは戦後ずっと変わっていません。
一般財源の中心は税金。そのうち国税が62兆円と地方税が40兆円ですが、この6対4の割合が変わらないのは「財源を握るものが権力を握る」からです。地方税を増やしていくための戦略については、困難ではありますが無理ではないと考えますので、のちのち取りあげていきます。
地方間競争は国の思うつぼ
市場競争が経済成長の原動力です。であれば、地方間競争が地方発展の原動力、と言っても間違いがなさそうですが、実際はそうではありません。
市場競争は「見えざる神の手」といわれる自由競争による資本の最適配分ですが、地方間競争は「見える国の手」がもっている許認可や補助金・交付金というパイの奪い合いです。
地方の活性化を狙いとする国の「地方創生交付金」は、よい地方創生事業を国がえらんでお金をだすものです。地方から競って事業が提案されて盛り上がりました。返さなくてもよい国のお金がくるなら、つかわなきゃ損だ。かけこみで作った見通しで事業をスタートしたものの、結果的に投資した地方の自己資金は回収できず、維持費負担だけがのこった事業もすくなくありません。
以前、民活法やリゾート法で経験したことと同じ失敗がくり返されました。
こうして、地方の弱い資金体質が続くことで、「予算配分権」をもつ国の強い立場が維持される結果になってしまっているのです。
失敗を繰り返さない
地方はもう目覚めるときです。いつまで同じ失敗を繰り返してはなりません。
「ひとのお金」(国の補助金)を取りあい振り回されるのではなく、「自分のお金」(地方税収)をふやすことに努力してかしこく使うという本道にもどることが重要です。
すなわち「地方への補助金を廃止して」「地方税収という地方の一般財源を増やす」、戦後一貫して求めてきた地方の要求を実現しようではありませんか。
****好きあった寛一とお宮だったが、ダイヤモンドに目がくらみ金持ち息子と結婚したお宮はその後不幸になっていく。一方の寛一は貧困のなかから金貸しとして成功していく****
金色夜叉は古い小説ですが、いまでも教訓は生きています。