「そろそろ大臣適齢期ですね」といわれて満面笑みの国会議員。「これは難しい問題なので局長に答弁させます」とまじめな顔で発言した大臣。オイオイ、いい加減にしろよと思ったことはありませんか。
しかし、こうしたおかしなことが起きる原因が議院内閣制にあること、そして、議院内閣制が政官癒着と政治腐敗を生む原因だということを聞いたら、みなさんはそれを放置できないと思います。
- 【筆者/やまべみつぐ】について
- 【やまべみつぐ(山辺美嗣)】
通産官僚、国連(ジュネーブ)、独法(ニューヨーク)での勤務を経て、県議に。日本初の地産地消政策や、地方議員としてロシアとの直接交渉などを実現しました。その後、県議会議長に就任。保守三つ巴の熾烈な選挙戦を経験し、他の候補者の選対としても活動しました。現在、政治行政のコンサルタント。議員引退を機に、故郷の雪国から子や孫のいる関東に転居。孫5人。
日本の議院内閣制はどのようにしてできたのか
皆さんは議院内閣制(ぎいんないかくせい)をご存じでしょうか。
なお「議院」とは「議会」のことで、「議員」ではないことに注意してください。
さて、日本で議院とは衆議院と参議院、つまり国会のことをいいます。国会が内閣総理大臣を選んで政府を任せる仕組みを議院内閣制とよびます。
占領軍が提案した議院内閣制
では、議院内閣制はどのようにしてできたのでしょうか。
いずれ新憲法が必要になると判断した日本政府は、敗戦直後の1945年9月には法制局や内閣で極秘に検討を開始しました。しかし連合国最高司令官総司令部GHQに検討中の案がもれて、内容が保守的だと批判されたと聞きます。1946年1月にはGHQの内部原案が作られて新憲法の「議院内閣制」の骨格が固まり、2月13日にはGHQから日本政府に憲法草案が提案されました。
2月22日に内閣はGHQ案を受け入れ、23日には新憲法案の起草に入って、3月4日に日本政府案をGHQに提案しました。しかしその案に対してGHQは反論し、徹夜の交渉をへて3月5日に最終案を決定しました。
つまりGHQの了解をとることは、日本政府が憲法案を決定する際の絶対条件だった。新憲法が、GHQ最高司令官の名前からマッカーサー憲法ともいわれる理由がここにあると私は考えます。
連合国が国会審議に介入
その後、戦後初の衆議院選挙を挟んで、1946年6月20日に帝国議会に上程され10月29日に貴族院で可決するのですが、その議会審議の間も、連合国で構成する極東委員会から憲法の内閣の規定について、修正案として「文民条項」と「国会議員過半数条項」が要求されて、議会審議はずっと連合国主導だったのです。
しかし、いったい何を祝うというのでしょうか。占領下で国民の参画もないままに、連合国が憲法を決めたことを祝うというのでしょうか?
それが実現されてはじめて、国民の祝日として祝うことができると思います。
イギリスとアメリカの制度は権力が分立している、だが日本は ...?
新憲法の議院内閣制はイギリスの内閣制度を基本にしたものでしたが、GHQはアメリカの大統領制も同時に念頭に置いて取り入れたため、日本の制度はまったく独自のものとなりました。
イギリスの内閣制度
イギリスの制度は、議会が内閣を作るので、立法権と行政権は完全には分立していません。しかし、内閣が支配する行政府に対して議会は距離を置く制度です。
イギリスの議会は議員で構成され、議員でないものが審議に参加することは出来ません。たとえ行政府の局長であっても議員でないものが議場で答弁に立つことは出来ないのです。議会は議員が立法に専念する場として独立しています。
つまり、イギリスでは議会と行政の二つの権力が癒着しないよう工夫しているのです。
イギリスには成文憲法がありません。一般法として制定された、国会法や内閣法により議会や行政府は運営されていますので、それらの仕組みは国会の議決だけで変えることができるのです。内閣制度もこれまで幾度も改正されてきています。
アメリカの大統領制
アメリカの大統領制は、大統領の率いる行政府と議会は完全に分立しています。
連邦議会は、法律や予算を成立させるとともに、立法権の一部として行政府に法律や予算の実施を命令できますので、行政府は議会の命令がないと職員給与の支払いさえもできません。
一方アメリカの大統領には国の元首としての指揮権があり、連邦議会が決定せずとも大統領令により行政府に指示できる法的な権限があります。
このようにアメリカでは、2権が完全に分立する制度とはいえ、立法権と行政権を相互に乗り入れることで双方が牽制しあう関係を作って、一方の暴走を抑える仕組みにしています。
例えば、アメリカ大統領は軍を海外に派遣する命令は出来ますが、軍の新たな装備については連邦議会の予算執行命令があってはじめて、装備を調達できるのです。
権力の分立がない日本の議院内閣制
このようにイギリスの内閣制度やアメリカの大統領制は、権力の分立について工夫がありますが、日本の議院内閣制には権力の分立が事実上ありません。また、憲法の規定は一度も改正されておらず、議院内閣制の仕組みは戦後に占領軍が作ったままです。
日本の国会は、議員でない行政府の幹部を議場に招集して、質疑をし答弁させます。国会はこれによって行政府に依存することになり、立法権と行政権は事実上一体化することとなりました。
日本の議院内閣制は、イギリスとアメリカの制度を参考にしてつくったものですが、両国の良い所を合成したのなら効果抜群のはずでしたが、結果はそうなりませんでした。議会と行政が一体化して利益共同体となる、癒着の構造を作ってしまいました。
一時期、国会改革として行政府職員の答弁を制限する約束(法律ではありません)でしたが、いつの間にか元にもどっているようです。
議院内閣制は政管癒着、政治腐敗を生み出している
占領下で連合国が作った憲法がもたらした議院内閣制には、多くの問題点があり、その問題点が結果的に政官癒着と政治腐敗をうみだしてきました。
議院内閣制を正すには憲法改正が必要です
戦後、民主国としての再出発をはたし、先進国の仲間入りをはたした日本が、なぜ自主的に憲法を改正できないのでしょうか。
憲法改正は、安全保障の議論ばかりでなく、地方の自立権、国会や内閣制度の議論にも広がりをもつ、私たちにとって最重要の課題なのです。
具体的な改正点の議論は、別の記事で取り上げていますので参照してください。