昨年末から表面化した自民党派閥の裏金問題は、国会が30年余り前から政治改革の目標としてきた「政党を中心とする政治運営のシステム」が破綻したことを示しています。
なぜ国会は「政党を中心にする」ことを選択したのでしょうか。その目的と手段は正しかったのでしょうか。
この記事では歴史的な背景を探ることで国会が判断を間違ってしまった原因を明らかにしたいと考えます。そしてあらためて目指すべき政治改革の姿を探りたいと思います。
- 【筆者/やまべみつぐ】について
- 【やまべみつぐ(山辺美嗣)】
通産官僚、国連(ジュネーブ)、独法(ニューヨーク)での勤務を経て、県議に。日本初の地産地消政策や、地方議員としてロシアとの直接交渉などを実現しました。その後、県議会議長に就任。保守三つ巴の熾烈な選挙戦を経験し、他の候補者の選対としても活動しました。現在、政治行政のコンサルタント。議員引退を機に、故郷の雪国から子や孫のいる関東に転居。孫5人。
日本の政治改革再考-過去の教訓
リクルート事件の衝撃と改革論理の倒錯
1988年日本を震撼させたリクルート事件は、政治とビジネスの癒着を象徴する大スキャンダルでした。この事件は、政治家、官僚、そして大企業間の不適切な金銭のやり取りが明るみに出たことで、国民の政治に対する信頼が大きく揺らぎました。背景には、政治資金をめぐる透明性の欠如があり、その後の政治改革の大きな動機となりました。
民間企業の立場から政治改革の意見を発信していた社会経済国民会議(日本生産性本部の政治部門で民間臨調とも呼ばれた)は、「政治に金がかかりすぎることが、政治家が不正な金に手を出す原因だ」と指摘して、内閣と国会に政治改革を求めました。
そして、企業団体からの政治資金は政治家でなく政党が管理すべきであること、政治の中心的役割を政党が果たすよう政党に公的資金を交付することなどを提案したのです。この考えが国の選挙制度審議会の答申にも反映され1992年の政治改革につながりました。
論理の倒錯が起きたのです。不正な金に手を出したのは政治家が悪いのであって、政治が悪いためではないことは自明の理です。政治家を罰すれば済んだはずの汚職事件が、この倒錯した論理によって「政治家をお金から切り離せば政治が良くなる」という論理にすり代わり、「政治改革」の中心になっていったのです。
1992年の政治改革の具体的内容
リクルート事件の反省から、1992年には一連の政治改革が行われました。この政治改革は、公職選挙法の改正や政治資金規正法の改正などを含めた4つの法律からなっています。
● 衆院に小選挙区比例代表並立制を導入する「公職選挙法改正」
● 企業団体献金を政党のみに認める「政治資金規正法改正」
● 政党に公的資金を交付する「政党助成法」
● 政党交付金を受ける政党に法人格を与える「法人格付与法」
特に注目すべきは、衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入したことで、政党に資金を集中する改革と同時に行われたため、政党が絶大な権力を持つことになりました。
小選挙区比例代表並立制の導入による悪影響
小選挙区比例代表並立制が導入されたことにより、次のような政党をめぐる権限の変化がおきました。
- 小選挙区候補者と比例候補者の決定はいずれも政党本部の権限となった。
- 小選挙区候補者を政党の支部長に任命するのは政党本部の権限となった。
- 中選挙区時代に党員が有していた候補者を選択する機会が消滅した。
- 比例代表には地縁の無い者でも政党本部が候補者として公認可能となった。
この変化によってもたらされた影響は次のようなものでした。
このように小選挙区比例代表制の導入によって、政治運営は政党中心になりました。しかし政党が選挙を全面的に支配するようになると、個々の政治家の独立性や多様性が弱められ政治家の自己研鑽を損ねる結果にもなっています。候補者選定過程の透明性が低下し、党員や有権者の選択肢が事実上制限されるようになりました。
政治資金の政党への集中がもたらした国会議員のモラル低下
改正された政治資金規正法により企業や団体からの献金は政党に限定されることとなり、政党助成法による政党交付金の創設とも相まって、政治資金は政党に集中しました。
その詳細は次のとおりです。
- 政治家個人とその他の政治団体への企業団体献金は禁止する。
- 企業団体献金は政党本部、政党支部、政党の指定する政治資金団体に限定する。
- 政党交付金は5人以上の国会議員を有する政党に配分する。
これにより生じた具体的な影響は次のようなものです。
国会議員は、党本部に集まる政治資金に大きく依存することになった。
派閥の政治団体には社員の個人寄付の形で事実上企業団体から政治資金パーティー収入があるため、国会議員は派閥の政治資金にも依存が高まった。
自民党派閥の裏金問題が表面化した背景には、この1992年の政治改革があります。
国会議員は、「支援者との人間関係に基づいた個人寄付によって政治活動が支えられる」という姿が本来目指すべきものでしょう。ところが、1992年の政治改革によって政党と派閥に政治資金が集中することとなったために、「政党と派閥の政治資金に依存して政治活動を行う」という自己努力の及ばない姿に、悪く言えば「たかり」のようなモラルの低下した姿に国会議員は追い込まれていったのです。
政党にお金が集中することが派閥を中心とした政党内部での権力争いを助長し、派閥の裏金問題など新たな腐敗を生む土壌を提供しました。
日本の政治改革再考-現代への提言
自民党派閥の裏金問題
昨年末から表面化した自民党派閥の裏金問題は、政治資金の流れが依然として不透明であることを示しています。この問題を受け、国会では政治資金規正法の改正が議論されていますが、その根本的な解決には至っていません。
政治資金の適正使用は、政治活動の透明性と直結しています。公開されるべき会計監査や、政治資金の使途を明確にする法的枠組みが必要ですが、現行の制度ではこれが十分には機能していないのが現状です。
政治資金を「公金」とする、法の改正が必要
現行の政治資金規正法は政治資金の適正使用に対して機能していないので、大規模な改正が求められています。
なぜ政治資金は適正使用が必要なのでしょうか。理由は政治資金が税金を原資とする「公金」だからです。個人からの政治献金は税額控除を受けることができますし、企業からの政治献金は企業規模に応じて一定額まで経費処理ができます。つまり政治資金は「税金が減額されることになる」ものなのです。
加えて1992年の政治改革で導入された「政党交付金」は次のように100%税金です。
■ 政党への配分は、国会議員数と選挙の政党得票率で機械的に計算される
こうしたお金である政治資金は「公金」以外の何物でもありません。であれば国の予算と同等の検査が必要ではないでしょうか。会計検査院の検査対象にもなりうるでしょう。少なくとも、政治資金規正法による「監査基準」の制定と「公認会計士による監査の公表」は議論されるべきだと思います。
「法人格付与法」でなく「政党法」の議論を
1992年の政治改革で導入された「法人格付与法」は、政党交付金を政党に交付することだけのために制定されたものであり、政党に日本の政治システム上の「地位」を与えるものとはなっていません。
リクルート事件を受けて民間臨調や選挙制度審議会で議論された際は、政党を中心とする政治を実現するために政党に一定の地位を与えることを目的として「政党法」を制定する提案でした。しかし、結果として国会で制定されたのは「政党は5人以上の国会議員で構成される」というまったく中身のない抜け殻の法律でした。
1992年に法人格付与法で初めて定義され、政党は初めて「公的な存在」として日本の歴史に登場することになったのです。
政党をこのような中身のない抜け殻の存在にしてしまった国会の責任は重いと言えます。政治改革を議論するのであれば、「政党とは何か」を中心課題に据えて政党に地位を与える「政党法」を議論せねばならないのではないでしょうか。
また、政党交付金は政党の本部運営のほか国会議員の選挙区支部にも支出されており、その中から組織対策として地方議員の政治団体に寄付金を交付する際の財源となっています。地方議員はかつて国会議員を「おやじ」と呼び人柄でしたっていたものですが、今はわずかなお金だけの関係になってしまっています。そのお金さえも不適切な処理で事件化してしまう事態は、志ある地方議員にとって誠に残念なことだと言えます。
政治家への企業団体献金は「悪」ではない
政治家への企業団体献金は、現在完全に禁止されています。政治家が「悪」に手を染めないようにするには、企業団体献金を政治家から引き離して政党にわたすのが良いとしてきたからです。政党には会計責任者がいて「正しく」管理できるとの論理があったからです。
しかし政党を構成する派閥が裏金の温床になると、問題は政治家が責任を取らないことにあるということに焦点が当たり、個々の政治家の責任を強化する議論に戻っているのはなぜなのでしょうか。
つまりは政治資金の透明性を向上させ直接有権者に説明責任を負うことは、政治家にしかできないのだと帰結したのでしょうか。もしそうであるとすれば、この議論に賛成したいと思います。
企業団体献金が「悪」であるという風潮は、自由な企業活動を否定する全体主義的あるいは社会主義的な発想に基いてある時期に広まったものです。日本国憲法は政治的自由を保障しており、そのことは個人のみならず法人においても然りとされています。あるべき政治の姿に向けての政治的活動に、企業団体が献金の形で意思を表すことは基本的権利として守られるべきことでしょう。
問題は政治資金という「公金」を不適切に使用すれば、当事者の政治家が「悪」であるという自明の話なのです。
企業団体が、政治家に献金しようが政党に献金しようが、そのこと自体も本来自由であって問題ではありません。問題は政治資金の使途について「監査基準」も「監査の公表」も無いことなのです。
政治資金には会計検査も国税調査も入らない不思議
一般に公金が不適切に使用されたら、当然ですが先ず警察や検察が調査に入ります。不適切な使用は、多くの場合に会計検査が入ることで早期に発見されたり、仮に私的な流用が判明すれば国税調査が入って公正な課税処分がされることになります。これが、普通の公金の取り扱いです。
ところが、政治資金規正法には「適切に使用されること」に関する規定がないのです。
「政治資金は、政治のために利用されることになっているから、検査しなくても政治のために利用されていることは明らか」と結論づけ、「政治は国民のため国家の運営のために行われる公的な営みであるから、当然課税の対象とはしない」と暗黙の了解があるかのようです。
公認会計士による監査が公開されているのか?国税などの調査は入らないでよいのか?
議論しなおすべきでないでしょうか。
日本の政治改革再考 まとめ
これまで種々述べてきたように、政党中心の政治運営がもたらした問題を国会での議論だけに任せず、より広範な国民の参加によって議論し政治改革を模索する必要があります。
政治資金の適切な管理と監督は、政治改革の中心的な要素ですが、国民一人一人が政治的議論に積極的に参加し具体策を探ることが重要です。また、政治資金の監査結果が公開されることにより国民が容易に政治の実態を知ることができるようになり、政治の透明性を高めることになるでしょう。
この記事は、日本の政治改革について過去と現在を掘り下げて、具体的な改善策を提示することを目指して記述してきました。皆様の議論の参考になればと思っています。